2010年08月27日

10分で2問。再質問はダメ?

 記者会見の公開を政党公約の一つの目玉にしてきた民主党の菅直人首相が、8月9日の長崎で、民主党らしからぬ?対応をしたようだ。平和祈念式典が終わったあと、市内のホテルであった会見でのことである。
 地元紙長崎新聞のコラム「記者ノート 2010」(8月14日付)によると、事実経過は次のようだ。
 この会見には、「10分」の時間制限があった。しかも、質問は地元市政クラブと東京からの同行記者団から各1問という縛りもかけられていた。コラムを書いた記者によると、「(地元)記者クラブは、核兵器廃絶などに向けた具体的方策について質問したが首相の答弁は的を射ず、首相の核抑止力容認発言に関する同行記者団の質問にも曖昧模糊(あいまいもこ)な言い回し」だった。
 この段階で制限時間10分のうち、「残り時間はまだ4分以上あった」という。そこでコラム氏は、非核三原則の法制化について「菅総理の政権下ではやらないのか」と質問した。首相は「私なりに検討してみたい」と答えた。さらに記者が「(法制化の)可能性はあるということか」と突っ込むと「検討した中で判断したい」と述べた。
 このくだりは多くのメディアが報道した。一方で、広島での「核抑止力=核の傘」容認論との矛盾が物議を醸し、菅首相の「二枚舌」として、批判もされた。
 首相会見に話を戻すと、ここまでで「会見時間は約6分20秒だった」。ところが、である。2日後の11日、長崎市は、市政記者クラブと、再質問した記者が所属する長崎新聞に対して「要請文」なるものを出した。内容は「信頼関係を失墜させる行為であり、誠に遺憾」「円滑な運営・進行の妨げとなるような行為は一切行わないよう強く要請します」というものだった。
 長崎新聞の記者は広島市に問い合わせている。長崎での首相会見が10分間で計2問だったのに対し、広島原爆の日の会見は20分間で計6問だった。記者は怒る。「なぜ同じ被爆地の会見で差をつけるのか」「首相に聞きたいことは山ほどある。絞り込んだ質問に不十分な返答しかしない場合、再質問して明確にするのは記者として当然のことだ」と。
 コラム氏によると、要請文を長崎市が出したのは、会見後、国が再質問を問題にし、2度にわたって市の対応を迫ったからだった。質問を規制しようとするのは菅首相自身なのか、それとも周りの官僚なのか。コラムは「ずるいな、と思う」という言葉で締めくくっている。(波)
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2009年02月06日

オバマ大統領への期待

 氷点下の寒さを吹き飛ばす200万人の熱気で覆われた就任式の演説で「古き友やかつての敵とともに核の脅威を減じ、地球温暖化を食い止めるためにたゆまず努力する」と述べたオバマ大統領の就任から2週間余り。ロシアのメドベージェフ大統領との電話会談では核兵器の備蓄を減らし、核拡散防止に向けた協力を進める必要性で一致するなどブッシュ政権下で停滞していた核軍縮にただちに取り組み、英タイムズ紙はオバマ大統領が核弾頭の80%削減を目指しロシアと交渉を進めると報道した。核兵器廃絶を願う世界の人々は「核兵器のない世界を追求する」との公約の実現に今、熱い期待を寄せる。
 一方で、「期待していない。人々は少しずつ失望していくだろう」(作家、辺見庸氏)と冷めた見方も出ている。オバマ氏にどこまで期待できるのだろうか。
 ▽コミュニティオルガナイザー
 筆者が注目するのはオバマ氏の政治家への原点となった「コミュニティオルガナイザー」という経歴である。オバマ氏は25歳から3年間、シカゴ南部の貧しい黒人地区で教会の支援を受けた「地域振興計画」の専従活動家として、職業訓練支援、公衆衛生サービスの向上、青少年教育、防犯計画など荒廃した地域社会の再生に取り組んだ。
 自伝によると、ニューヨークの名門コロンビア大学の卒業を間近に控えた年に、黒人の法的・社会的平等を求めた公民権運動にあこがれ、「黒人のまとめ役になり、草の根レベルの仕事をしてアメリカ社会に変化を引き起こす」ためコミュニティオルガナイザーになろうと決意したという。卒業後、学費ローンの支払いと将来に備えて貯金するために多国籍企業向けのコンサルタント会社に籍を置き、数カ月でオフィスと秘書を持つ「金融ライター」のポジションを得たが、1年後に初志通り、シカゴでコミュニティオルガナイザーの世界に飛び込んだ。シカゴは全く初めての土地、年収は当時の米国の一人当たり国民所得約1万3000j余りを大幅に下回る1万jの条件、コミュニティオルガナイザーが何かをわかっていたわけでもない。高収入と企業社会での高い地位を望めた道を捨てての転身だった。
 オバマ氏は、人々の心の中に分け入って本音を聞きだし、何を必要としているのか、荒廃した地域を再生するには何が必要なのかを見極め、その獲得、実現に向けて住民を組織するオルガナイザーとして優れた能力を発揮した。活動1年で地区の人々をまとめ、市当局を動かし青少年のための職業訓練センターを地区内に完成した。次いで市が放置していた公営住宅団地のアスベスト除去も実現した。自伝には、貧しくても人間らしく生きる人々の生き様に触れる中で政治家オバマの原点が育まれていく様子が生き生きと描かれている。
 ネット百科事典ウキペディアは著名なコミュニティオルガナイザーとして公民権運動のマーチン・ルーサー・キング牧師や環境・消費者運動のラルフ・ネーダー氏と並んでバラク・オバマ氏を挙げており、米社会でそうした系譜の政治家としての評価が定着していることを示している。
 ▽「ヒロシマ」
 筆者は「核兵器のない世界を追求する」という公約の原点もコミュニティオルガナイザー時代にあると考えている。オバマ氏の自伝ではコミュニティオルガナイザー時代を、黒人教会のジェレミア・ライト牧師の説教から受けた感銘の章で締めくくっている。争いと貧しさを原因とする苦労や苦しみの中でも希望を持つ勇気を説くライト牧師の説教はオバマ氏の政治家への道に大きな影響を与えた。オバマ氏を全国的な政治家に押し上げた2004年の民主党全国大会での有名な演説「白人でも黒人でもなく、金持ちでも貧者でもなく、共和党でもなく民主党でもない、一つの米国をつくろう」の草稿を書くに当たって思い浮かべたのがライト師の説教の核心をなす「大胆不敵な希望」だった。また大統領予備選立候補表明に当たって自らの政治理念や政策を著し、全米で200万部のベストセラーとなった著書のタイトルも「大胆不敵な希望」(邦訳のタイトルは「合衆国再生」)とつけている。
 その説教の中に争いの例として「ヒロシマ」が出てくる。自伝では「ヒロシマの話」とあるだけだが、大統領選の最中に同師の説教を問題視したマスコミが、説教の映像を流したことでその内容がわかった。ライト師は9.11米中枢同時テロ後の説教で「われわれ(アメリカ)は広島や長崎に原爆を落とし、ニューヨークとペンタゴンで殺されたよりもはるかに多くの人々を犠牲にした。われわれはこのことから目を背け続けている」と語った。9.11との比較部分を除けば、広島、長崎への原爆投下が非難されるべき行為とする内容はオバマ氏が聞いた時と変わっていないだろう。
 ライト師の説教への共感がオバマ氏の「核兵器のない世界を追求する」という公約の背景になっていると考えてよいだろう。広島、長崎への原爆投下についてオバマ氏はこれまでの米国の政治家にはなかった認識を持っていると思われる。
 ▽初めてのチャンス
 もちろん、政治は現実との妥協の産物であり、政治家の認識、理念と実際の政治行動に乖離があることはよくあることだから認識や理念だけで期待するのは現実的ではないだろう。実際、オバマ氏は大統領選中にライト師の説教や発言がマスコミに「白人敵視、反米国」として取り上げられ、大統領予備選に不利な展開になった時に、「わたしの持つ世界観と相反している」として、20年にわたって心の師と仰いできたライト牧師との絶縁を宣言している。
 また自著では、アメリカの核の傘について「冷戦中にヨーロッパと日本が軍拡競争に走るのを防ぎ、ほとんどの国に核は骨折り甲斐のないものだという結論にいたらせてきた」と評価し、核軍縮についても大統領選中に「米国は一方的には軍縮を進めない。核兵器がこの世に存在する限り、強い核抑止力を保持する」と明言している。
 しかし、これらのことでオバマ氏に失望することはないだろう。就任演説でも「希望」はキーワードの一つとなった。また「核抑止論」の克服は難しい課題であるが、オバマ大統領が就任演説で表明した国と国の間のより踏み込んだ協力と相互理解を基調とする外交によって乗り越えられない訳ではない。
 「核兵器なき世界」の実現を期待できる米大統領が現実にいる。人類が核兵器を手にして以来初めてのチャンスであることは間違いない。   (酒井真智)
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2008年12月24日

被爆の実相

「被爆の実相を知ってほしい」。広島でよく聞かれるフレーズです。
2007年8月6日の広島市長の平和宣言にも盛り込まれていました。

でも「実相」という言葉、「実態」や「実情」などと比べ、日常生活ではあまりポピュラーな単語ではないと思いませんか。
実際、自分が所属している会社のデータベースで過去10年の記事を検索してみると、実相は約1000件紙面に登場していましたが、その4割強は原爆や被爆者に関する記事でした。「被爆の実相」はいわば慣用句になっている、と言えそうです。

広辞苑によると、実相も実態も「実際のありさま」という意味で共通していました。ただ、実相には「真実のすがた」と付け加えられ、仏教用語でもあると記されていました。さらに調べてみると、法華経には「諸法実相(すべてのものはみな真理を現している)」という教えもありました。どうやら、このあたりにヒントがありそうです。

ただ、肝心の広島で、いつから「実相」という言葉が使われ始めたかははっきりしません。公刊物のタイトルで調べた限り、最も古いのは、広島市議会議長を務めた故・柴田重暉さんが被爆10年後の1955(昭和30)年8月に出版した「原爆の実相」という体験記のようでした。

柴田さんは63年前の被爆当時、広島市助役を務めていました。「原爆の実相」では、市長が爆死するなど甚大な被害を受けた市役所で、被災者支援にあたった職員らの動きが生き生きと描かれています。

残念ながら、柴田さんがなぜタイトルに「実相」という言葉を入れたかは、本文中に説明はありませんでした。
ただ、柴田さんは巻頭で、体験記を書き始めた理由が、核開発競争への懸念だったと記し、競争が止まらぬ原因について、「原爆の形容し難い恐ろしさが、一部の専門的科学者と広島、長崎両市の体験者以外には真に理解されていないことにあるのではあるまいか」と問いかけています。

柴田さんの本が出たのと同じ月、広島では、第1回原水禁世界大会が開かれました。
第五福竜丸の被曝を機に高まった人々の核兵器への怒りが、頂点に達したひとときでした。
「原水爆被害者の不幸な実相は広く世界に知られなければなりません」。
大会で採択されたアピールの一部です。
世界で初めて、広島で人間に向けて投下された原爆が、どれほどの惨禍をもたらしたのか。そのありさま、真実のすがたを全世界の人々に知ってほしいとのヒロシマの願いが、「実相」の一言とともに噴き出したように思えてなりません。

前述の柴田さんはこうも書いています。「原爆についての記録は限りなく書き留められ、公にされねばならぬと思う。何も、それは上手に表現される必要はない。(中略)。各自の能力に応じて卒直に記録されたものが、一つでも多く集積されていくことが、より良く原爆の真相を伝えるよすがとなり、それによって結論的なものは自ら産み出されるのだと思う」

どれほど語っても語り尽くせぬ「実相」を伝えていくにどうすればいいのか。
広島の人々が発してきた言葉の一つ一つの意味を省みながら、一つでも多くの記録を積み重ねていくことが、いま、広島で原爆・平和報道に携わる私たちに求められているのだと思っています。(YK)
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2008年12月16日

庶民の反戦記録 「書き残す」役目

 広島在住の詩人・御庄博実さんが新作詩集「ふるさと―岩国」(思潮社)を出版した。83歳の御庄さんは、少年時代の郷愁と広島の悲劇、在日米軍再編に翻弄される岩国の街を憂う思いを交錯させ、静かな筆致ながら鬼気迫る反戦叙事詩を書き上げた。
   ◆  ◆  ◆
 御庄さんは1945年春、旧制広島高校を卒業。米軍の原爆投下2日後、級友らを捜しに広島市に入り被爆した。戦後は郷里で結核の療養生活を送りながら、広島の峠三吉らと反戦文学運動を興した。峠が代表作「原爆詩集」を完成させた直後、アパートの一室で夜通し語り合いながら「あなたは広島の叙事詩を書くべきだ」とけしかけたという。しかし、肺を病んだ峠は2年後に逝った。
 東京や岡山を転々とし、1977年から広島に暮らす御庄さんは「広島出身でない僕には広島の叙事詩は書けない」と言うが、広島と岩国という視点を兼ね備えた文学者は希有な存在である。
 御庄さんに「衰えない創作意欲の原動力は何ですか」と問うてみた。しばしの間を置いて、「書き残さなければならないことがある」と返ってきた。60余年生きてきた表現者の言葉として、あまりに重かった。広島を、平和を書き続けることの覚悟を突きつけられたような気がした。
   ◆  ◆  ◆
 では、被爆体験もなく、戦後の核廃絶運動の高揚期も知らない私たちは、何を書き残せるのだろう。この時代にしかできないこと、と考えたとき、戦前の街並みを記憶し、被爆と戦後復興の時代を生きてきた庶民の記録を、歴史に刻むことの重要性を思う。それは10年後には極めて困難な作業になるからだ。
 私事だが、85歳になる祖母と64歳の父は被爆者である。戦後、復員してきた祖父と焦土で金目になるものを拾っては売って、その日をしのぐことから始まったという。核廃絶運動などかかわったこともない祖母だが、時折、「戦争だけはいけんよお」と口にする。こうして文字にすると平板だが、私にとっては次代に伝える責務を迫る重い一言だ。
   ◆  ◆  ◆
 私たちジャーナリストが、耳を傾け書き残さなければ消えゆく庶民の言葉が、広島の街には漂っている。オピニオンリーダーに所属するだろう御庄さんでさえ、伝え切れていない言葉があるのだ。一人でも多くの庶民の言葉を書き残すこと。歴史に刻まれた記録は、一つ一つが原爆を告発する証言であることを思えば、足を止めている暇はないのだ。(UN)
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2008年12月10日

核廃絶に市民の力「今後も関心を」 クラスター爆弾禁止条約 締結を受けて

 クラスター爆弾禁止条約の署名式が12月4日にノルウェーのオスロでおこなわれ、日本を加えた94カ国が署名をしました。同条約は、対人地雷禁止条約に続き、NGOと関心をもつ主導国との協働によって実現した二つ目の軍縮条約と言えます。これらの二つの条約の成立を見るとき私たちは、市民の力が軍縮を実現できる時代の到来を実感することができます。
 これらの事例は、核兵器の廃絶を願う人々に希望を与えるものでしょう。広がる非核兵器地帯、国際連合における核兵器禁止条約の提案、そして、キッシンジャー等によるウォールストリートジャーナル紙での核廃絶提案もまた、肯定的な兆候と言えます。私たちは、核廃絶を求める市民が志をもつ国家への働きかけを強めることにより、核兵器使用の禁止や最終的な廃絶に向けた条約が、生まれる可能性を感じることができるのです。
   ◆ ◆ ◆
 このような希望を感じると同時に、先行きを楽観視できない気持ちにもなります。それは核兵器の脅威が、今日において、どこまで広く共感されているのかに確信を持てないためです。
 ごく最近、核被害や戦争に関する取材を重ねてきた講師の話を聞く機会がありました。核兵器保有国が増加し、小型核の開発が議論され、さらに非国家主体による放射性物質の入手が危惧される今日を、講師は「核時代」と称しました。確かに現状は核時代と言うに適した状況にあると言えます。しかし、冷戦期を通じて各国市民に共有された核兵器使用の脅威は、冷戦対立がなくなった今日において、日常的な議論の対象ではなくなりました。対立の解消は核の脅威からの人々の解放であり、喜ばしいことです。しかしこの核時代とは、世界全体で見るとき、市民レベルで核兵器に関する関心が低下する可能性のある時代とは言えないでしょうか。
   ◆ ◆ ◆
 対人地雷とクラスター爆弾の使用や保有・生産を禁止する条約が、市民社会の力で実現したことの背景には共通点がありました。それはいずれの兵器も、武力紛争終了後も一般市民を傷つけるという非人道性をもっており、そして、被害を受ける人々へ共感が広く生まれたことです。核兵器が前者を共有することは明らかです。廃絶に向けた条約が市民の力によって実現するためには、新しい核時代に合った方法で、核兵器のもたらす被害の非人道性を提起し続けるとともに、問題への関心をさらに高めるための取り組みが不可欠と感じます。
 その切り口はおそらく一つではないのでしょう。核使用によってもたらされる人的被害・物的被害といった短期的かつ直接的な被害を訴えることは、もちろん必要です。さらに内戦や内戦後国家の復興への関心が高まっている今日においては、差別や就労困難、医療問題など、長期にわたって被爆者と社会が抱えた困難もまた、広く人々の共感を得る視点でしょう。
 対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約の成立の知らせは、平和を求める運動は常に、日々のなにげない幸福を願う人々の率直な思いに支えられていることを、改めて感じさせてくれます。(SN)
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2008年11月25日

第5回ヒロシマ基礎講座

kouen.jpg 第5回ヒロシマ基礎講座が11月22日午後3時から、広島市中区の市まちづくり市民交流プラザでありました。共同通信社外信部の太田昌克記者が「米国の核政策と新政権の課題」をテーマに講演しました。

 9・11を契機に、攻撃力、防衛力、即応力のある核兵器製造インフラ―を柱とする、新しい核体制を目指し始めたブッシュ政権。2002年6月には、大量破壊兵器を所有する集団には先制攻撃すると発表し、「使える核」の模索を始めました。
 核兵器の通常兵器化を目指す政権に、米議会は反発。太田記者は机の中に広島原爆のきのこ雲の写真をしまっているある議員の姿を見て、「広島、長崎の声が届いていると実感した」と話します。
 結局、議会と世論の不支持でブッシュの核戦略は挫折。太田記者は「全世界での核廃絶を米核政策の中心的要素に位置付けたい」と話したオバマ次期大統領に期待を込めました。

otasan.jpg 講演後の意見交換では、「広島にいた時の太田さんの原爆平和報道の心構えとは」「本当に米国は核廃絶を目指すのか」「ロシアの核軍縮の現状」などについて話し合いました。

 太田記者は1992年、入社。広島支局勤務を経て2003―07年、ワシントン支局特派員。国際報道で優れた業績を挙げたとして、06年度の「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞しています。



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燈燈無尽

ヒロシマ基礎講座ブログへようこそ。

開設して一番はじめの書き込みにもありますが、このブログは「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」の活動について、広くご紹介することを目的としてスタートしました。
毎月1回開催している「ヒロシマ基礎講座」に関する情報はもちろん、今後は事務局スタッフによるリレーエッセイ等も折り込みながら、マメな更新を努めていこうと考えております。

ということで、第1回目のリレーエッセイは、言い出しっぺの私から・・・

『燈燈無尽』という言葉をご存じでしょうか?
1本のロウソクは必ず燃え尽きてしまうけれど、次のロウソクへと移し続けてゆけば、その灯はいつまでも燃え続ける・・・という意味です。
この言葉とともに、核の罪について訴え続けたひとりの男性が亡くなりました。
畠中国三さん。92歳。原爆小頭症患者と家族の会「きのこ会」の初代会長です。
原爆小頭症とは、母親の胎内で直接被爆したことにより、頭囲が小さいなど身体と知能に重い障害を伴う原爆後傷害のひとつです。彼らは被爆の翌年に生まれた事で、成人式を過ぎた年齢になっても被爆者としてさえ認められませんでした。患者と家族は「被爆者が障害ある子どもを産む」というような間違った見識からの差別や偏見に苦しめられ続け、多くは今もメディアの取材を拒み続けています。
畠中さんは、そんな中で「核廃絶のためには広く世に訴えねばならない」という意志を強く持ち、原爆小頭症患者である娘の百合子さんとともに、国内外のメディアの取材を受け続けました。
「20年は生きられないと言われた原爆小頭症児。この子の存在は何であるかと考え続けてきました。そして出た答えが『この子は核廃絶の生き証人だ、核廃絶を訴えるためにこの子は生まれている…』毎日毎日、黙って座っているだけです。テレビを見て座っているだけです。その姿そのものが、核の被害なんです。」
力強く話してくれる畠中さんの目は、すこし悲しく見えました。
「哀しいけれど、この子にできるのは、それしかない・・・」
そうです。メディアに自分の家族を晒すことに、実は心の底ではためらい続けていたのです。それでもなお、メディアの前で核廃絶を訴え続けた畠中国三さん。私たちは畠中さんの「心の灯」をどれだけしっかり受け継ぐことができたでしょうか。そして、その灯をどれだけの人に伝えることができたでしょう・・・
畠中さんの訴えを無にしてはならない。「燈燈無尽」の言葉を胸に、受け止め伝えることの責任の重さを感じます。
「きのこ会」の名付け親でもある畠中さん。会の名前には「きのこ雲の下で生まれた小さな命。たとえ日陰で育とうとも、枯れ葉を押しのけすくすくと育って欲しい」という親の願いがこめられています。そんな原爆小頭症患者は、まもなく63歳になります。彼らを支え続けてきた親御さんは年老い、多くはすでに亡くなりました。きのこ会では、2003年から会長不在の状態が続いています。
畠中国三さんご逝去の知らせを受けて、あるきのこ会の会員がつぶやきました。
「私たちは、これからどうしたらいいんでしょう・・・」
きのこ会を支えるボランティアグループには、若い力が不足しており、仲間作りが緊急の課題となっています。しかし、彼らの悩みや苦しみを受け止めるには、まず「知る」事が大切です。これらの事は、きのこ会に限らないのかもしれません。
同じ過ちを繰り返さないためにも、みなさんの身の回りの「小さな灯」を受け継ぐことから始めてみませんか。それが畠中さんが核廃絶の願いとともに語り続けた「燈燈無尽」につながることと私は信じます。(chockey)
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2008年10月30日

第4回ヒロシマ基礎講座

hiroiwasan.jpg 第4回ヒロシマ基礎講座が10月25日の午後5時から、広島市まちづくり市民交流プラザ(中区)でありました。毎日新聞社の広岩近広・専門編集委員が「広島の思想はなぜ国際政治を動かせないのか、動かすために我々はいかにすべきか」と題して講演しました。
 広岩さんは自らの取材経験を通して、「世界は日本を平和国家として見ていない」と強調。日本人が「平和ぼけ」している点に触れた上で、日本の戦争への態度について「アメリカの属国のように見られている」と指摘しました。
 日本が核の傘下に入る危険を認識した広岩さんは、毎日新聞の一面で「平和記者宣言」を発表。「核兵器は人間の細胞を破壊する。絶対に使ってはならない」と訴えました。
 約五十分の講義の後、参加者との意見交換もありました。東京のアーティストが広島市上空に「ピカッ」と描いた事件についての議論からスタート。元毎日新聞記者の西山太吉さんなどにふれながら、表現や報道の自由についても意見があがりました。長崎と広島の違いについても議論がありました。
 広岩さんは「広島の思想を伝えるため、個々の努力は大きいのに1つにまとまっていない。各メディアのメンバーが集まったJCJ広島としての発信に期待する」と講座を締めくくりました。

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2008年10月28日

広岩さんの話を聞いて

 今の部署で仕事をするようになって、広岩さんの記事がとにかく気になるようになった。この人、どんな人なんだろう。年は? 経歴は? いろいろ知りたいと思った。ヒロシマ講座で知り合った毎日新聞の仲間を通して、広島での講演が実現した。
 やっぱり、人は会ってみないと分からないもんだ。「へーえ」と感心しながら、身を乗り出すような思いで話を聞いた。「広島の思想は、なぜ国際政治を動かさないのか」というタイトルは、ご自身が考えられたものだけど、いつもこの言葉を自問しながら現在の仕事をされているという。フム、フム。とても親近感がわいてきた。
 印象的だったのは、「(書くことによって降りかかってくる)身の危険や圧力に負けたくない」という言葉。「サンデー毎日」記者時代のオウム取材などの体験を通して語られたのだけど、とても生々しく、私の体に響いた。
 私の場合はどうなんだろう。過去、のるかそるかの緊張感で取材対象とやりとりした記事を書いたこともなくはない。でも、いまの時代、広岩さんが語る「真剣勝負」のような「闘う記事」を、私たちはどれだけ書いているのだろうか。身が引き締まるような、勇気を与えてもらったお話だった。(N)
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2008年10月15日

ヒロシマ基礎講座blogスタート!

 日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)が月1回開く「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座では、広島で活動している記者たちが集まり、ゲストスピーカーとともに、主に「原爆・平和報道」について意見を交換しています。
 今後、講座の内容や感想をアップしていきますのでよろしくお願い致します!
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